東海道 おじ散歩 (二宮)小田原宿〜(箱根湯本)箱根宿

5日目 10月21日(土)

 

今年は秋がなかなか来ない。

気温が10月後半でもまだ25℃を超え、テレビでは今月x度目の夏日とか・・・。

 

今日の目標は箱根の手前の箱根湯本で日帰り温泉に入って帰る事。

前回ゴール地点とした二宮でおり、小田原に向けて出発。

 

二宮から小田原は、途中数カ所、旧道の名残を歩くが、ほぼ国道1号線に沿っての道のりとなっていた。

 

一里塚の目標以外には、特に珍しいものもなく撮れ高も今ひとつ。

二宮と国府津の間にある押切坂の一里塚

 

車はやはり国道だけに多いがこの道を歩いている人が殆どいない。

もちろん、二宮、国府津など駅周辺では駅に向かう人が見受けられるが、皆、車かバイクか自転車か。

 

今回はあまり、気分も乗らないので、小田原はあっという間に通過し、箱根湯本に近づいてくると、流石にこれからの箱根の山越えが感じられる風景に。

小田原宿

小田原宿を越え、箱根湯本の手前から

箱根湯本では温泉旅館で日帰り温泉に入り、軽く一杯

 

日本酒で軽くお昼ご飯

今日はお昼(14時頃)でゴールとしよう。

お風呂に入りながら、最近歩いたあと、左膝が腫れぼったく痛い事が気になり始めた。。。。 まだまだ京都までの道のりは長いのに。。。

東海道 おじ散歩 藤沢宿〜平塚宿〜大磯宿〜(二宮)小田原宿

4日目 10月7日(土)

 

10月に入り、空気も漸く、夏から秋を感じさせる涼しさが出てきた気がする。

今日は藤沢から更に西へ、目標は小田原宿

 

小田原宿までの距離は藤沢宿から30km以上、今までの最長距離を想定して9:05、

前回ゴール地点とした藤沢本町駅付近から出発。

 

藤沢宿京見附跡を過ぎて、いざ平塚宿へ。

この街道歩きをしていて、道端の地蔵や祠が多い、昔の旅人等も見ていたのかなぁ、とか思いを馳せつつ歩を進める。

 

四ツ谷の一里塚、日本橋から13番目の一里塚(一里=約4km)という事は52kmくらい歩いたことになるのか・・・?と思って歩いていたらご親切に。

茅ヶ崎市街の手前

まぁ、そういう事だよね。

と納得間も有り、一里塚がこういう役割をしていたんだなと改めて感じる。

 

茅ヶ崎市外の手前の道端には、赤松の並木(だから赤松町?)。

この松は、いつ頃からこの東海道を見てるんだろう?

たぶん赤松の並木

何度か車で通ったことがある、いつも混んでいる道、車道はノロノロ運転の車がずっと連なる信号もあちこちにある。

 

茅ヶ崎の一里塚を越えて、更に進むと大きな鳥居。「鶴嶺八幡宮大鳥居」と言うらしい。その先が馬入川(相模川) なぜ「馬入」は鎌倉殿の13人の時に何かで見た気が・・・。 頼朝が橋の渡り初めで落馬して乗っていた馬が川で溺死したとか、それ以来橋が不吉ということで、江戸の頃は渡し船だったらしい。

 

馬入橋を渡り平塚の街に入ってくると、そろそろお昼、ここまで休憩無しで3時間程歩きつづけたので、心地よい空腹。

やはり老舗の蕎麦屋を探したいところだけど、目に入ってきたのは

豚丼

大好物の「豚丼」、とりあえず休憩がてらの豚丼完食。

 

進むと、見附町というところで、

平塚宿の江戸見附跡の標示

改めて読むと、ここまで歩いてきて宿場には江戸見附、京(上方)見附、本陣、問屋場、高札場 跡 があったけど、そう言えばそこは何の跡?

 

関東地方整備局 横浜国道事務所のHPより抜粋)

見附:もともと見張りの番兵を置いた軍事施設で、江戸城では外堀に沿って多数の見附が配置されていました。赤坂見附、四谷見附といった地名はその名残です。

宿場の入り口にも見附がありました。江戸側にあるものを江戸見附、京側にあるのが上方見附と呼びます。

 

本陣、脇本陣:陣本陣は天皇のおつかいである勅使や、公家、大名、公用で旅をする幕府の役人などが宿泊するための施設です。本陣だけに宿泊できないときに、予備にあてた宿舎が脇本陣です。
本陣と脇本陣は一般の旅籠屋と違い、特権として門、玄関、書院を設けることができました。
本陣は宿泊施設の中でもっとも権威のあるもので、今で言えば高級旅館といったところでしょうが、特定の身分の人だけが宿泊できたというのはあくまで原則であって、時として一般旅行者が宿泊することもありました。しかしこれも頻繁に宿泊させるというわけにはいかなかったようで、経営的には苦しかったようです。

 

問屋場

とか有りましたが、全部ここに書いてあるので省略

 

続けよ。

 

平塚の上方見附を過ぎて、花水川の手前に、特徴のある山。

ここも昔の旅人が眺めた景色なんだろうなと思うと、安藤広重の絵

高麗山

そしてその山を眺める場所に

平成の一里塚

でしょうね。

特徴的で絵に描きたくなる・・・。

 

更に少し行くと、国道1号線を外れて、少し細い道に。

東海道五十三次大磯宿(広重筆)

広重筆

この景色?

う〜ん、さっき程再現性というか、ここがその場所感はないけど。

まぁ、多分この辺だったんでしょ。

 

進むと、そろそろ大磯宿、ここまで20km以上を歩き、これまでの最長おじ散歩に入っていて、足首やふくらはぎに少し疲れがでてきている。

小田原までまだ10km以上・・・。行けるか?

 

とか考えながらあるいていると、いつの間にか大磯宿の上方見附跡を通過

更に進んでいくと、街道歩きには関係無いけど、「旧吉田茂邸」が左手に見えた。

 

ふと、気づくと目の前に同じ本を片手に、やや足を引きづりながらもリュックを背に歩く年配の先輩爺がいた。

同じく京都を目指しているのか?今日はどこまで行くのか?気になったが、自分も知らん人にこういうところで話しかけられたくないなと思って自重。

 

結構、街道歩きしてる初老(大半は男性)が多い。すなわち、皆、おじ散歩か爺散歩。

と言っている間に、足がそろそろ悲鳴を上げたので、小田原宿入りを断念して、今日のところはJR二宮駅付近で一旦ゴール

 

藤沢宿ー13.4kmー平塚宿ー4.0kmー大磯宿ー4.8kmー(二宮)小田原宿

歩行距離🚶22.2km

藤沢宿小田急藤沢本町)〜小田原宿手前(JR二宮)

次回、箱根越えの手前で箱根湯本あたりを目指します。

 

東海道 おじ散歩 保土ヶ谷宿〜戸塚宿〜藤沢宿

3日目 2023年9月18日(月祝)

 

3連休の最終日、10:30頃先週のゴール地点、保土ヶ谷駅付近から再出発

天気は晴れ、気温は28℃くらいで少し高め。

 

保土ヶ谷から歩くこと30分ほどで今日の難所の一つ、「権太坂」の登りに差し掛かる

権太坂の入り口付近の標示

権太坂を登りながら振り返ると

権太坂からの景色

みなとみらい、ランドマークタワーが見えた。

もちろん昔の人はこんな景色は見てなかっただろうけど・・・。

ダラダラと続く坂を登り、県立光陵高校の前あたりに、権太坂の由来の標示。

権太坂の由来

ん〜、どっちも微妙。

 

権太坂を登りきり、少し進むと

最初の戸塚宿案内図

境木地蔵尊の前あたりに標示されていて、ここから少し細い道に入って行く所が間違えやすそうな道

 

焼餅坂と呼ばれる坂を下り、車一台通れるか?くらいの細い道を更に下っていくと、東戸塚のイオンショッピングモールを右手に見ながら少し先で、環状2号を渡る歩道橋が今の東海道・・・。(環状2号線で途切れてしまったという事でしょう)

 

品濃町、平戸を抜けて赤関橋で国道一号線に出る。

 

ここから、戸塚まで、よく通る国道1号線戸塚駅方面に進むと、不動坂

不動坂の標示

今や、坂というほどの坂でもないけど、きっと昔は坂だったんだろう・・・

 

歩くこと、また30分程で

戸塚大踏切の名残

見えてきたのは、戸塚駅の北側を渡る跨線橋、昔は箱根駅伝でも渡っていたこの踏切も今や様変わりしているが、まだ大踏切がある頃に、戸塚に住み始めていたが、ここでも東海道が途切れていたんだなぁ・・とここ20年近くの戸塚も振り返りながら進む。

 

戸塚駅西口に出て、八坂神社、冨塚八幡宮の前を過ぎて大阪下から大阪上と登って行く。ここら辺で13:00頃、しまった戸塚駅周辺で昼飯を食べておけば良かった・・・。

 

そこから先はしばらく飲食店もなく、ただただ歩く。コンビニに寄り道して何か食べるのもなぁ・・・。

 

吹上、原宿交差点を過ぎ、影取あたりでようやく見えてきた、CoCo一番カレーで遅めの昼食がてらの休憩、時間は14:00を回り、そろそろ今日のゴールをどこにするか・・?

 

再会し、藤沢バイパスの手前を左に入り、遊行寺を過ぎ、藤沢宿の江戸方見附を超えた。休憩後、足が一気に重く感じるようになり、そろそろ今日の旅は終わりにしておこうと、地図をみたあたりが、小田急 藤沢本町。

 

今日はここまでにしておこう。

 

保土ヶ谷宿ー9.3kmー戸塚宿ー7.9kmー藤沢宿

歩行距離🚶17.2km

保土ヶ谷宿(JR保土ヶ谷駅)〜藤沢宿小田急藤沢本町)

次回は藤沢から小田原を目指します。

 

東海道 おじ散歩 川崎宿〜神奈川宿〜保土ヶ谷宿

2日目 2023年9月10日(日)

 

残暑厳しい、9月の2週目前日は雨予報だった為見送り、日曜に先週のゴール地点

川崎宿(砂子交差点)へ電車で移動

 

11:15 川崎宿を出発

スタート地点は川崎の繁華街のちょっと外れ、飲食店が両側に並ぶ道を南下。

川崎宿(砂子交差点付近)

スタート地点には、歴史ガイドとして、ここからの旧東海道の案内図が設置されてた。

今日の目的地は、保土ヶ谷宿

同交差点付近の案内図

スタートして30分程、川崎警察署前を通過し、芭蕉の句碑に立ち止まり、

※画像撮影忘れ

「麦の穂をたよりにつかむ別れかな」元禄七年(1694)郷里伊賀上野に帰る際に、見送りの門弟達とここで別れ、その5ヶ月後に亡くなったそうです・・・。

(「新版ちゃんとあるける 東海道五十三次(東)」以下、「ガイド本」より引用)

 

少し歩くと、京急八丁畷の裏にある人骨慰霊碑があり、その向いに「東海道川崎宿史跡めぐり」と書かれた案内板。しばし休憩も兼ねて立ち止まるり、川崎宿を通過。

八丁畷駅裏の案内板

川崎市横浜市の境界となっている、市場上町の交差点を通過。何気ない住宅街の細道を歩き、住宅街を抜けると見えてくる鶴見橋鶴見川を渡ったところには、鶴見橋関門跡に碑が建てられていた。

鶴見橋関門旧跡

更に進む、京急鶴見駅で線路の下をくぐると、地名に「生麦」が生麦と言えば、そう、KIRINのビール工場! もそうですが、歴史で学んだ生麦事件が起こった場所なんだろうな・・。などと思いつつ歩くと。。

生麦事件発生場所

この発生場所(大名行列を横切った場所?)の看板は住宅街の普通のお宅の玄関前に建てられていて、少し先のKIRINのビール工場傍に被害者が止めを刺されたとされる場所に生麦事件碑が建てられている。

生麦事件碑_1

生麦事件碑_2

KIRINのビール工場、首都高の下をくぐり、国道15号沿をあるくと京急新子安、子安と歩いて、この辺りからが神奈川宿。(この辺りは特に見所無し)

宮前商店街のゲートをくぐり、また旧街道らしい細い商店街を抜け、横浜駅を左手奥に見ながら、青木橋(跨線)を渡る。現、台町の辺りの小道に入り、アップダウンを繰り返す細道。

楠町、浅間町を抜け、松原商店街入り口(天王町)から商店街を歩くルートが旧東海道、なかなか活気のある商店街で歩行者天国になっていた。

松原商店街を抜けて、2km程先には、今日の目的地保土ヶ谷宿(JR保土ヶ谷駅付近)

保土ヶ谷宿案内図

川崎宿ー8.9kmー神奈川宿ー5.1kmー保土ヶ谷宿
歩行距離🚶 14.0km

川崎宿(砂子交差点)〜保土ヶ谷宿(JR保土ヶ谷駅)

武蔵国はここまで、次は相模国の宿場戸塚、藤沢へと進みます。

東海道 おじ散歩 日本橋〜品川宿〜川崎宿

出発の日 2023年9月2日(土)

 

前日に天気自宅を出て、まずは電車で日本橋

日本橋付近

日本橋(出発点)

9:30頃、東海道街道歩きをスタート、今日の目標は21km 先の川崎宿

 

スタート直後、銀座周辺はちょうどビル日陰で、時折、テナントの冷房が涼しく良い香りを乗せて吹き出してくる。気分は上々、まだまだ足取りも軽い。

ゆりかもめの下をくぐり、汐留あたりから浜松町・大門を通過したころ、「そうかここに繋がってるんだ・・・。」普段、地下鉄やタクシーで駅周辺のビルへ仕事でお邪魔することがあったりだが、歩いてみて初めてわかる東京の道。 とか、スタート1時間程でまだまだ元気。

札の辻、高輪・泉岳寺付近でそろそろ、品川のビル群が見え始め一旦品川宿での昼休憩を考え始める。

品川駅(高輪口)を越えて、ふと気づく「なんで品川の南側なのに、北品川?」そう、その答えは歩いてみてすぐにわかる。品川宿の北のはずれにJR&京急品川駅があるということで、元々の品川宿はその南側に北品川、その先に南品川と続いていた。

昼休憩は、ちょうど12:00頃、ここまで2時間半の道のりで、そろそろいつものおじ散歩Aコースと同じくらいの距離を歩いた北品川と南品川の境目あたりのお蕎麦屋さんで、天せいろをいただきました。(画像撮るの忘れたので割愛)、テーブルに置いてあるピッチャーの麦茶をがぶ飲みして、いざ再出発。

立会川にかかる浜川橋が泪橋と呼ばれ、その先の鈴ヶ森刑場で処罰される罪人と家族の別れの場所だった・・・なんてエピソードを読んで昔に思い馳せながら更に進み、その鈴ヶ森遺跡を通過。

ここから、また第一京浜(国道15号)を歩き、一瞬美原通り商店街に入るものの、ほぼ国道沿いの広い歩道をひたすら南へ・・・すでに15kmほど歩き体力的にも疲労が出てきて変わり映えしない、市街地を大森町、梅屋敷、京急蒲田の脇をただただ歩く歩く。ある意味今日一番の難所・・・。

雑色を過ぎて、六郷橋が見えると、涼しい風と河川敷で元気に野球をする野球少年達の姿が見えて、多摩川を越えればそこは、今日目的地、川崎宿だ。もう一度元気湧いてラストスパート。

橋を渡り、高架下を潜って進むと、何気ないマンションとスーパーが並ぶ細い道。そうそこが旧東海道川崎宿の入り口。

川崎宿入り口付近

この道を500m程進み、一旦今日のゴールは「砂子交差点」として、東海道おじ散歩1日目終了。

到着時刻はほぼ15:00という事で、普段12kmを120分程度であるいていたが、後半のペースダウンもさることながら、信号待ちで結構時間がかかることを実感。次回以降の予定はもう少し余裕を見て考えよって思いました。

 

日本橋ー8.7kmー品川宿ー11.4kmー川崎宿

歩行距離🚶 20.1km

 

日本橋川崎宿(砂子交差点)

 

東海道 おじ散歩

はじめに

健康のため、体重抑制の為に始めた、「おじ散歩」(おじさんが散歩する)も早一年程、週3、4日ほぼ同じコース(Aコース12km:120分程度、Bコース7km:80分程度)を歩きながら、月どれくらい歩いてるかな?などと考えていて、どうせなら・・・と東海道おじ散歩きを思いついた。

ネットで調べてみると、やはり同じ事をしている先人はやはり多数いて、いろんな情報が提供されている。東京の日本橋を起点に、東海道中山道甲州街道日光街道奥州街道五街道を歩くガイド本まで出版されていた。

準備

早速、宿場から宿場への距離が5〜12km、これを2,3区間づつ進んでいく想定で、日々のおじ散歩に精を出し、休日には午前午後でAコースを2回歩くなど、体力の確認ができたところで、いよいよ出発の日を決めた。